
この
レースはオアーズマンシップ、スポーツマンシップを物語るものとして、早慶レガッタのみならず、
日本アマチュアスポーツ界に残る名勝負となりました。当時は「道徳」の教材にも取り上げられてい
たほどです。
レースの行われた昭和32年5月12日は強い風雨の日でした。永代橋を逆風と雨の中を
両校スタート。慶應が先行、浜町付近(1,600m)ではすでに4艇身のリード。
しかし、よく見ると早稲田の様子がおかしい…艇前部や後部のペアが時々漕ぐのを休んでいる…この時、
荒れた隅田川は白波が立ち、容赦無く両校の艇を襲っていました。シートが外れたのか?あるいは艇の
故障か?
なんと早稲田のクルーが漕がなかったのは、艇を沈めないために、用意してあったアルミ食器で水をか
き出していたからなのです。そんな状態ですから艇差は開くばかり。両国橋では6艇身差、誰もが慶應
の勝利を疑うべくもありませんでした。
しかし、蔵前橋を過ぎようとする頃、慶應の艇速が鈍り始めます。今まで何とかしのいできた水が、
ついに溜まりはじめたのです。
かき出すにもアルミ食器の準備がない慶応は、ローイングシャツに水をしみ込ませて絞り出す始末。
早慶の食器とシャツの汲み出し競争が始まりました。しばらくすると、早稲田が有利になり、厩橋付
近(3,500m)では慶應はかなりの浸水状態。駒形橋では早稲田が半艇身に迫ったところで、慶應はつ
いに沈み始めました。コックス、ストローク、7番…と艇尾部から順に沈んでいきます。慶應あえなく
沈没、リタイヤ。
そんな慶應を横目に早稲田が水をかき出しながら抜き、そのままゴールへ。
審判協議の結果、「(中略)レース中、水路、用艇、その他に関し事故が起きた場合といえども、それぞれのクルーの責任とする」という競漕規則にのっとり、早稲田の勝ちを宣言。
この裁定に対し、早稲田は不可抗力によるアクシデントととして、再レースを申し入れましたが、慶應は「負け」を主張。再レースは行われることはありませんでした。
最後に、このレースで苦渋の選択を迫られた両校コックスの象徴的なコメントを紹介しておきましょう。
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