
第1回大会は明治38年5月8日に行われました。時代は日露戦争の真っ最中、
日本海大海戦はこの19日後、そんな時代のことです。
当時、隅田川の向島近辺には東大、高商(一橋大)、外語大、学習院といった各校の艇庫があり、
各校とも校内競漕大会がさかんに行われていた様です。
そんな慶應義塾の校内大会の前日に、明治37年に創部したばかりの早稲田が明治20年創部の
慶應義塾に試合を申し入れて、第1回大会は実現しました。
レースにあたり両校の色は現在のスクールカラーとは異なり、抽選によって赤が早稲田・白
が慶應義塾と決まりました。両校の学生をはじめ、前評判を聞き付けて集まった野次馬が、双
方の応援に両岸を赤白に分かれ、その盛り上がり源平合戦さながらだったと言われいます。
このレースは現在の様なエイトではなくシックスで競われ、早稲田の艇が1艇身半で勝っています。
この記念すべき第1回早慶レガッタの反響は大きく、翌年以降の開催が期待されましたが、野球の早慶戦の過
熱振りから、早慶両校の対校戦が全面禁止になるに到り、昭和5年の第2回大会まで25年の月日を待た
ねばならなくなりました。 |
 |
 |
 |